戦災も震災も受けていない武生の市街地には、江戸、明治時代の地図でも十分歩けるほど、昔の道がそのまま残っています。のぼり町通り、大門通り、松原通り、銀座通り、馬場通り、広小路通り、善光寺通り、大正通り、六軒町通り、蛭子通りなど、それぞれの「いわれ」を含めて後世に語り継ぎたいと思います。これは単なる懐古趣味ではなく、これこそが武生のまちの個性であり、もし街中に通り名の表示があれば、場所の特定にも便利だと考えるからです。
同時に、大量生産、大量消費の時代が過ぎた今日、武生にある「繕いや」を探そうということになりました。大門通りで「めがね直します」、六軒町通りで「アクセサリー直します」の小さな表示を見たことがあります。その他時計、箪笥、靴、バック、椅子、洋服、着物、カメラ、自転車、家、掛け物など、「知る人ぞ知る」繕い屋さんを、「通り名」を入れた地図に落とせたらいいですね。情報をお待ちしています。
質問1.昭和37年に施行された「住居表示に関する法律」によって,町の区割りが変わり、今の町名になりましたが、そのときの経緯について教えていただけますか?
答え: 昭和30年代以降わが国の経済発展は目覚しく、急激な生活環境の変化によって、従来の町名表示では不都合な面が出てきたようです。複雑で解りにくい町境、町の飛び地、また高層の住宅などでは同じ地番に多くの家があることになり、郵便の配達などに支障をきたすようになって来ました。それで武生市でも昭和48年5月に第1次地区、翌年11月に第2次地区、51年6月に第3次地区、続いて第4次地区と、新住居表示が実施たれました。しかし大きな道路を境にした町内割のやり方は、確かに郵便配達には都合がいいものの、今までの地域の暮らしを無視するもので、町内の祭礼維持、町内会の財産管理などに多くの悪影響を与えました。
反対のデモ行進までも行われたことを記憶しています。
大きな反対にもかかわらず結局強行された住居表示修正ですが、最大公約数的に決まった町名は、文京、南、若竹、あおば、平和、中央、若松などと歴史的意味合いの無いものであったり、蓬莱町、京町、幸町などもともとあった町名を使いながら区域が変わったため、混乱を招いたものもあります。
質問2.新町名の決め方は、行政指導型だったのでしょうか?
答え: いいえ。各地域でアンケートなどをとって、決めたようです。
質問3.「大門通り」というのは本当に門があったのですか?
答え: いや「門」というのは入り口という意味でしょう。帆山の渡しから町へ入ってくる入り口だと思います。江戸末まで深草の金剛院のあたりに釘貫町がありましたが、此処には実際「釘貫門」という門があって、これも町への入り口で門番もいたようです。
質問4.大門通りの道端に「くわんのんみち」と、書かれた石柱がありますが、あれは古いものですか?
答え: いやそんなに古いものではありませんよ。御影石だし、書体も新しいです。
おそらく大正時代に帆山寺の宣伝のために立てたのでしょう。
質問5.善光寺通りというのはなぜですか?
答え: 正覚寺は、南北朝時代北朝方の斯波高経が新善光寺城を築いた場所だからです。
正覚寺の北側には今でも中世の土塁の址が残っていますよ。
それにしても「善光寺通り」という名前は日本中で、武生にしかありません。信濃の善光寺にもないんです。
質問6.蛭子町は以前は「新在家町」といったようですが、新在家というのはなぜですか?
答え: 今の総社前通りは江戸初期には「油在家」といいました。それは総社に灯明料(油代)を献上し、営業権を保証された商人が住んでいたからです。それに対して 新しくできた通りなので「新在家通り」といったのだと思います。
質問7.「六軒町通り」というのはなぜですか?
答え: この通りには6軒しか家がなかったんです。
質問8.吾妻町に昔からある三つの路地について教えてください。
答え: 一つは「般若筋」。道の中ほどに椎の木があり半分しか入れなかったので、「半入筋」が訛って「はんにゃずし」になったそうです。
二つ目は「中筋」。これは真ん中の辻子。
三つ目は「桶屋筋」(おけやずし)。昔は桶屋が住んでいたから。
これの南に「小鳥町」というのがありますが、これは「小殿町」が訛ったものです。
本多家中の小殿さんが住んでいたそうです。今でも江戸末期の茅葺の家が残ってい ます。
質問9.「馬場通り」は?
答え: この通りは侍屋敷が多く、武士が馬に乗って通ったからです。
今は広小路通りと言っているところも、昔は「下馬場通り」と、いいました。大正2年の大火以後、広小路通りとなりました。
「大正通り」、「銀座通り」は昭和の初めに完成しています。
質問10.昔から通り名のついている通りの特徴って何かありますか?
答え:商売をやっている家が並んでいたことでしょうかね。今もこの通り名ごとに商店街連盟ができているようですね。
司会のまとめ
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今までに人口に膾炙しているものを、消えないように語り継いでいくよう工夫してみましょう。
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行政にも提案しましょう。
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センスのいい表示方法を考えましょう。
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平成の通り名ができてもいいかもしれません。
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地域振興事業を熱心にやっている地域にも働きかけましょう。