「惜しまれて消えゆく越前の古建築物」武生高等学校同窓会関東支部発行『同窓会誌2008』掲載  
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「惜しまれて消えゆく越前の古建築物」

武生高等学校同窓会関東支部発行『同窓会誌2008』掲載

三木世嗣美(武生高校昭和39年卒)
毎日見慣れた町並みの中で、ある建物が壊されてしまうと、今までそこに何があったのかが解らなくなってしまうのは恐ろしい。どこのまちでも、「わがまちの個性」とか「わがまちの宝」を探しているようなのに、まさにそのまちの歴史を表していると思われる建物が、ある日突然消えてしまうのを止めることが出来ない。
つい1年ほど前にも、武生の街中の民家では最古の住宅がたった一日で消えてしまった。その建物は中村病院の裏通りに建っていた。向かいは八坂神社である。この通りは、江戸時代には府中領主本多家お抱えの医者の家が軒を連ね、お医者通りと呼ばれていたそうだ。私が知っている時代には「掛所」と呼ばれ、五分市本山の別院として使われていたが、古くは藩医斉藤家の住宅だった。数年前に福井県建築士会南越支部の人達がその天井裏で「天明5年(1785年)築」と書かれた棟札を見つけて、建築年代が判明したのだと聞いている。間口が6間の横長の建物で、屋根は切り妻、白漆喰の整った虫籠窓が印象的な建物だったし、塀、門柱、前庭、建物など全てが府中藩医の住宅遺構として極めて貴重なものだった。
この掛所と背中合わせで、旧北陸道に面して建っていた福井銀行橘支店と同敷地内の類似の建物が姿を消したのは平成13年の5月だったと思う。これらは昭和2年に大和田銀行武生支店、大和田貯蓄武生支店として建設され、昭和20年からは福井銀行橘支店、武生商工会議所事務局として使われていた。鉄筋コンクリート造りだが、腰の部分は花崗岩で、玄関脇には左右に円形の柱を配し、しゃれたデザインになっていた。中のカウンターが殊の外立派だったのを思い出す。昭和30年代には二階の応接間で、クラシックのコンサートまで催されたらしい。平成8年福井銀行は支店を廃止したためその建物を手放したが、この近代化遺産は大事にするという約束の上での売却だったと我々市民は聞いていた。ところが購入者はその1年後に建物を取り壊し、跡地を駐車場に変えてしまった。今は駐車場の奥に、江戸時代からの稲荷さんと大きな多羅葉の木だけが残っている。
旧北陸道沿いの上総社近くに、平成11年5月までは、文化4年(1807年)築の大井家という商家が建っていて、形のよい松の木と共に武生の町並みのシンボル的存在になっていた。武生の旧市街地は、度重なる大火に見舞われているが、このあたりは被災を免れたため、昔のままその姿をとどめていたのである。醤油の醸造元だった建物は間口6.5間、奥行8.5間の大きなもので、その他に作業場と2つの土蔵がついていた。太い登り梁や屋根の卯立つなど雪国の近世町家の特徴をよく残した家だったが、200年という月日は建物のあちこちの傷みを大きくし、個人での維持が困難な状況が出てきていた。持ち主は勿論市民団体もその保存を模索したが、どうにもならず結局個人での維持を断念して、申し出のあった静岡県の食品会社に譲る事になった。平成11年秋には静岡県御殿場市神山のホテルや美術館などが建つ6万坪の敷地内に、母屋と土蔵の二棟が移築された。 今は「麦とろめしや」となっていて、入り口には越前から移築したものであるとの説明書きもあるらしい。苦渋の選択ではあったが、とにかく残ったことはありがたいことである。
 まちなかの建物が消えるのも淋しいが、橋の袂の景色がすっかり変わるのはまた特別な思いがするものである。現在赤土に分譲地売り出しを示す幟がひらめいている帆山橋の市街地寄りの角には、ついこの間まで山楽荘となづけられた別荘風住宅が木立の中に建っていた。橋に通じる道からは二階建ての大きな洋館だけが見えていたが、日野川の土手からはその背後に大きな和風住宅があるのが窺われた。大正15年に建てられたこの建物は、昭和24年の昭和天皇の福井県御巡行の折、行在所に使われたという。このあたりは大門川原と呼ばれた所で、日野川の清流に臨み、川を隔てて越前富士の呼称を持つ日野山を仰ぎ、村国山を対岸に見る眺望絶佳の境だったようである。山楽荘から少し西の方、現在吉田皮膚科医院などがある所一帯には、逍遥園という回遊式庭園に日野山を借景に持つ、粋をこらした建物が長屋門と共に平成2年まで存在していた。逍遥園は万延元年(1860年)に、打刃物卸商の中でも指折りの豪商松井耕雪が作ったものである。幕末の歌人橘曙覧もこの地に遊び、「松井耕雪氏逍遥園之記」を書いているように、多くの文人墨客が来遊した文化サロンだったことがわかる。紙面の都合上これ以上紹介できないが、貴重な建物を次々に失っている現状を思うにつけ、アレックス・カーという日本びいきのアメリカ人が書いた『犬と鬼』(2002年、講談社)の中の「日本はいい国だいい国だと書き続けてきたが、ついにおれはやめた」という言葉が心にしみる。

武生高等学校同窓会関東支部発行『同窓会誌2008』掲載